負け犬の遠吠え

群れの中から見ていたい

まだ毛布が手放せない

 

10/1 Zepp Osaka Bayside、今ツアー(aurora ark)唯一参加できたライブハウス公演です。

セトリMCその他のネタバレします、あとツイッターに投げた雑レポと重複してるところあると思う。適当に流し読んでね。

ステージはほとんど見られてません。視覚的なレポとかはないと思ってください。

 

 

 

 

「aurora  arc」

流れた瞬間、音がよすぎて「これが聴きたかった!!!!!!!!」になった。反響しまくるドームの音響に慣らされてたけど、聴きたいのは、聴きたかったのは、欲しかったのは、これだよ……………。音の粒が溶けずに ちゃんと一音一音聴こえるのが嬉しすぎて それだけでもう今日ここにこれてよかった、と思った。ここで既に「終わらないで aurora ark in Zepp OSAKA Bayside 1日目……」だった。つい10日前にも時間を共にしたのに、「会いたかった……!!!!!」と思った。同時に何がかは分からないけど「あぁ始まった」とも感じた。

 

スクリーンのない、ドームほどの照明設備もない、ライブハウスのライトだったけど、ドームで映像を見たときよりも「イエローナイフに来た、連れてきてもらった」って感覚が大きかった。ドームの映像はどちらかというとビデオレターみたいな 彼らの旅の記録をお裾分けしてもらってるみたいな感覚が強かったので。

でもあの瞬間は多分きっとオブチキンと、もちろんスタッフも含めた全員と、全員が同じ場所に立ってた。それをより一層高めてくれる「aurora arc」の音、ひとつ楽器が増えて重なるたびに 世界が広がるような感覚を与えてくれて、さながら「イエローナイフはここにあったんだ」みたいな気持ちでした(それはWILLPOLIS)。改めてオープニングとしてあまりに秀逸。天才。一生繰り返してたい。

 

 

「Aurora」、一音が鳴った瞬間、藤原の声が聞こえた瞬間、世界が色づく瞬間ってこんな感じなんだ、と思った。一気に目の前の世界が鮮やかになって命を吹き込まれたみたいだった。本気で、この人たちは魔法使いだと思った。この日何度も思うことになるけど、ドームの何倍も より自然に、それが当然のことのように、あの空間は広がってた。完全に箱の外、多分オブチキンを聴いている全ての人のところまで音が届いてた。この人の歌は、この人たちの音は、こんな当たり前みたいに広がるんだ、ってのを目の当たりにした。今まで行ったドームと比べて 何分の一ってキャパなのに、明らかにドームよりも広かった。こんな風に分かることあるんだ…って 彼らの底知れなさにまた驚かされた。

なのにどこまでも「君」に届くことを一番大事にしていて、届いているかを気にしてくれいてて、「せめて」なんて「せめてその白い手紙が君に届きますように」なんて、「せめて」どころじゃないのに。ずっとずっと届いてるのに。こんなに大切で大切でなくしたくないもの。

どれだけのものを貰ったか分からないのに。届ける範囲の広さと、その対象である「君」の小ささが 矛盾なく成立してるの、本当うまく説明できない。

 

 

 

この日の「虹」での藤原の曲間煽り、「会いにきたぜ大阪!」「叫べ大阪!」「こんなもんじゃねえだろ!」で滾った。その時はただただ荒っぽくてオラついててどうやっても隠せない藤原基央という人間の大きさと人を惹きつけてしまう力に沸くしかなかったけど、今思うと「届きますように」と願った気持ちを あんなにすぐに返せる場所をくれて、もっともっとと求めてくれたの、めちゃくちゃ幸せなことだったのでは……?ありがとうバンプオブチキン……。

どれだけ叫んでも叫び足りないからもっともっと叫ばせてくれ。

 

 

 

叫ぶ藤原とは対照的に、オブチキンいちのお喋りを自称するちゃまがここまで何も話さなくて、「天体観測」の白と青だけのライトに照らされたステージ上のちゃまが 本当に幻みたいに綺麗だった。物販担当のちゃまもSNS担当のちゃまもMC担当のちゃまも全部好きだけど、やっぱりベーシスト直井由文が一番好きだよ。ドームだと溶けてしまってたベースの音がちゃんと聴こえて嬉しかった。歌うようなあやすような優しくて力強いちゃまのベースが大好きだよ。

あとアンコでもないのに「暑いでしょ?」っつってペットボトル投げてくれる優しさが本当に……。好きだよ……やさしい……ありがとうね……。10月なのにこの暑さのせいで追加グッズ売らなくて「ンンンン〜〜!!!!!!」ってなってるだろうにさ……。文字通り命の水です。

 

 

「記念撮影」こんなに優しく簡単に(音楽として技術としてってことじゃなく)、穏やかに紡がれるイントロから 歌い始める藤原の声がすごく切実で少し苦しくて切なくて(音源聴いててその差に気づいた)、ねえどんな顔して歌ってるの、って 顔が見たくなった。必ずくる「終わり」から目を逸らさずに きちんとその先を見つめてる人だから「一生今日が続いてほしい」って歌う同じ日に そんな声で「君は知っていた 僕も気づいてた 終わる魔法の中にいたこと」「僕らの間にはさよならが 出会った時から育っていた」なんて歌うの。少しでも気を抜いたら 目を逸らしたら 諦めてしまったら 迷子になってしまいそうで泣いた私の前で「迷子のままでも大丈夫」って歌うの。

邪な思いでの「ステージが見たい」じゃなく、本当に心から 私に向けて「大丈夫」だって歌ってくれるあなたの目が見たいと思った。見られなくても ちゃんと大丈夫だったけれど。

手を口元に添えてメンバーと歌う「Ah ah ah ahh」に込めた気持ちが 叫ばなくても音や風や空気の流れなんかに乗って 届けばいいなって思いながらいつも歌ってる。

あとメロディー替えが好き。

 

 

 

「話がしたいよ」

ライト一本に照らされて歌い始める藤原、あぁもうここで人生全クリした、悔いはない、って錯覚するほどのものだった。なんでこんなに狭い空間で、声だけで、無限に広がる世界の輪郭を私たちに与えられるんだろう。

多分藤原がひとりで音楽やってても好きになってたし救われてたよ、でも4人でやることを選んで、諦めないでいてくれてありがとう、って みんなの声と音が重なると思う。

「お薬貰ったし …飲まねぇし」のぶっきらぼうで乱暴な、なんでもないような、なのに分かる人にだけ伝わる歌い方にひとり沸いて、泣いてしまった……むり……………………。

「君の触れた匂い 忘れられないよ」は えちえちおじさんどこまでいくつもりです?そろそろR15指定入ってるよ?本当責任取ってほしい。

……からのアウトロがずるいよ。今までの何もかもを自分の声とギターでまとめてくるのずるい、すき、ここではお漏らししないリスナーもえらい。

 

 

 

「オンリーロンリーグローリー」

私が一生囚われ続けてこだわり続けてどうしても面倒くさくなってしまうアルバムこと「ユグドラシル」の中の一曲だけど、その中でもそこまで思い入れが深い方じゃないと思ってたんですよね。いや好きだけど。ユグの中だと「陽」側の曲じゃん。

でもユグドラシルってやっぱり私の中で特別だったんだなあ。

 

あの「オングロ」を綺麗に軽やかに歌う藤原を前にして やっぱりオブチキンは進んでしまったんだと拗ねて 置いていかれたと絶望して泣いた。藤原基央は、バンプオブチキンは、「オンリーロンリーグローリー」を もうこんな風に歌えてしまうことが寂しかった。「お前もそろそろ俺(ユグ)離れしろよ」って言われてしまった気がした。「嫌だ無理だめ置いていかないで」って泣いた。

 

ふっと目の前が暗くなって泣いてたのに、「生き絶えた〜」からの歌い方が私の知ってる、私がずっと泣いて、支えられて、勇気付けられて、またダメだって戻って泣いて、何度も勇気をもらったオブチキンの「オングロ」だった。「あぁもう置いていかれた」って泣いたのに、またすぐ同じ人たちに音楽に掬われてしまった。ここで「まだ大丈夫」だと思った。同時に、もう何回目かわからない「ずるい」って泣いた。絶対に完全に見捨てて置いていってくれない。ずるいしひどいよ。でもありがとう。

まだ、もう、これからも、これまでの私も、大丈夫だと思った。

 

 

 

「望遠のマーチ」いっつもこの曲にころされてるね。ウケるね。しゃれになんね〜〜〜〜。

京セラから予感があって、名古屋でやっぱり、ってわかって、1日目しか行けないベイサイドにびびってたけど、私にとって、今ツアーは同じ会場2dayでいかなきゃ完結しない物語だ、ってこの会場で確信した。ねぇちゃんと地獄に落としたあと救ってくれよ。じゃないと明日から 息ができない。

でも本当に、解禁になった当初はこの曲がここまで私を揺さぶる曲になると思ってなかった。アルバムになった時にもここまでの曲になると思ってなかった。確実にこのツアーの中で私の中に植え付けられた曲だよ。どうしてくれんの。一生責任取ってよね。

 

 

 

ライブハウスで演るのを楽しみにしていた「月虹」が 意外とドーム映えする曲だったり、ドームの演出(好きじゃない)でいや〜〜これは……でもまあ大きい会場で映えそうな曲だよなあ……って思ってた「アリア」が 意外と箱でめちゃめちゃよかったり、「aurora arc」曲には本当驚かされる。

レーザーもライトもスクリーンも、余計なもの全部削ぎ落とした藤原、もといオブチキン、これこそが完成形なんだよな、って心から思える礼拝堂だった。あの時あの場所にいたみんな洗礼を受けたね。

 

 

 

 

「Spica」

ドーム公演私にスクリーン演出ボロクソ言われてる曲のひとつ。そもそもぱんど〜らで「pfでの感動と嬉しさ返せよ!!!!」って思ってた曲でもあったが……。

藤原が前触れなくハンドマイクに切り替えて、演奏を3人に任せて、「ボーカル 藤原基央」になった時点でもう大好きになってしまった。

ボーカリスト藤原基央、あの時地球上に存在したボーカリストの中で間違いなく文句なしぶっちぎりナンバーワンのボーカリストだった。ライトを浴びて、ステージの上で、歌うことだけに集中した藤原基央、才能をボーカルに全振りしてないとおかしいぐらいのボーカルだった。後のMCで 唐突にハンドマイクにした理由を「もっと近くに行きたかったから」の単純かつそれ以上ない理由だって教えてくれたのが信じられないぐらい、下心があるほうが信じられたぐらい、あの日のベストアクトではと思う時間だった。

そして昂ぶって「前に前に」出る藤原を きちんと支えて見守って見送れる3人の音とコーラス。藤原が「絶対にこの4人で」と願ったバンドは ここまでになったんだなあ……。あの時あの場にいた全員、「信じてくれるから 立っていられた」んだよ。

ラストまだハンドマイクで歌えたのにスタンドの前に戻った藤原、「手を取った時 その繋ぎ目が 僕の世界の真ん中になった」でスタンドマイクの上で手を組んで歌ってて、完全にあの瞬間「僕の世界の真ん中になった」になりましたよね、ええ。なんでそんなことすんの?????致死量余裕で超えてる完全に殺しにかかってて本当に怖い無理なにそのサービス精神正気じゃいられない……。

ハンドマイクに表れてるようにめちゃくちゃ気持ち入っててサイコーだった……。こんなに喉を震わせて切実に歌い上げるのずるいよ。

 

 

 

「新世界」のかいわれこの目で見られなかったのでしにま〜〜す。自分でもびっくりするぐらい落ち込んじゃった。凹んでる中で叫ばされるとヤケクソで一瞬どうでもよくなるね……。

圧縮された空間とバカデカ感情で押しつぶされるかと思ったのに「もっと」って煽るオブチキン人間じゃないわこえ〜〜となる。

悪ノリ「もう一回!」コールからの「わかったわかった」「やるわけねーじゃん」「バッカじゃないの?」全部全部たまんなかったけど茶番付き合わせてごめんねってちょっとハラハラした。付き合ってくれてありがとう。嫌な思いしてないですか?大丈夫?

からの「もっと欲しい?」「もっと声出る?」でエッッッッツ導入からの「すぱのば」新しすぎる。ここにきてまだ既存曲で新体験できるの面白です。

 

 

 

 

「流れ星の正体」

ドームで全席指定されて周りに多少の余裕があるのとは違う、文字通り詰め込まれた人に囲まれて、しかも恐らく全員がオブチキンに会いにきたその人たちの中に埋もれたライブハウスで「世界に何億人いようとも ひとり」って歌われるの、なによりも実感を伴う。これだけ普段より近いはずの人の中にいても確かにひとりだった。今ツアー中ずっと感じてる楽しさと幸せの共有と、同時にどうやっても理解れない違和感と寂しさと孤独感の狭間で、また毛布の中に逃げ込んで、「あぁ 私にはまだこの毛布が手放せないな」って笑えた。でも仕方ないよなそれでいいか、って 諦めか希望かわからないけど そう思えた。ねえやっぱりまだ毛布が手放せないよ。

 

音源では「届け、届け」って 焦りすら伝わるのに ライブであんなにあんしんして「お前らには伝わってるだろう?」「大丈夫だろう?」って歌うのずるい。

 

 

 

 

 

近年、ユグドラシルに依存する頻度も深さもマシになったと思ってて、あの時の私が成長できたと思ってたのに aaでそんなことないって打ちのめされてる。情けないのにどこか嬉しくて幸せ。

一生手放す気なんてないから 一緒にどこまでもついてきて。