負け犬の遠吠え

群れの中から見ていたい

迷子になって、息ができない

 

 

全然余裕はないのですが 少し落ち着いた(また明日の私が死ぬ)ので aurora ark ナゴヤドームの話をします。セトリだとかMCだとかの話はツイッターに投げたので 今回はその話はしません。

支離滅裂なレポという名の垂れ流し感想戦は いつかモーメントにまとめ…られたらいいなあ………………。

でもセトリその他に触れる可能性はあるので ネタバレ絶対ヤダヤダマンは読まないことをおすすめします。配慮とかせん。書きたいことを書き残す。

このエントリーは 名古屋の1日目で死んで、2日目で救われて どうしようもなく生き延びてしまった人間の話です。

 

 

 

 

京セラドーム1日目でひとり地獄に落ちて、2日目で救われた人間は、名古屋1日目はもう大丈夫、京セラ1日目ほど寂しくなることも悲しくなることも辛くなることもないだろう、あれ以上の地獄なんて早々見ることはないだろう、しかもあれだけ救われた後に。もう大丈夫。とタカをくくって 少し自分の気持ちをナメながら参加しました。

 

 

結果から言うとまた別の絶望に叩き落とされた。(また?!??!!??!!?!)

 

 

別に何が悪いとか誰が悪いとかじゃないです、多分。

それでもなんで絶望の底に突き落とされたのかというと、そもそも「Aurora」の時点で 音の反響で迷子になりかけていて、「置いていかないで」「この手を離さないで」「見失いたくない」って祈りながら必死に音を追っていたんですよね。ドームの反響で 掴んでたものがあやふやになって手から滑り落ちそうになっていたから。

それに加えて、その曲で「イェイ」って応えるのか、その曲で黄色い声を上げるのか、それらを聞いてまだメンバーの名前を叫べるような気持ちでいるのか、ましてやおふざけ隠しネームを叫ぶのか、野次が入れられるのか、あの演奏を言葉を聞いてなおメンバーを茶化すような声を上げられるのか、それを聞いて笑えるのか、全部「なんで?」って思っただけです。「なんで?」が大きくなってぐちゃぐちゃになって、自分はできなくて分からないから「なんで?」が膨らんだ迷子になった。

 

少なくともあの日あの場所にいた私の耳にはそれが大多数に聞こえて、同じオブチキンの音楽を聴いて、藤原の歌詞に共感したり共鳴したり泣いたり救われたり縋ったりしたはずの人間の集まりが 私以外のほとんどが 私とは違う受け取り方をして、全く理解できない楽しみ方をしていて、「なんで、どうして」って 分からなくなっただけです。

ただのワガママだしエゴの押し付けだし何一つ正当性なんてないです。

でも心の底から「なんで?」、「置いていかれた」って思ったんです。

道標にしてきたオブチキンの音楽さえ見失いそうだった。心底「息ができない」「助けて」って願った。

 

 

 

そして 藤原が軽やかに何でもないように あまりにも綺麗に(あの時はそう聞こえた)ダイヤモンドを歌った時 「あぁもうこの場で唯一私だけが取り残されている」って これ以上ないぐらいに絶望した。ずっと縋って頼って掴んで救われていたオブチキンにさえ置いていかれたような気持ちになって 急に手を離された気がして 1人だけ お前だけ ずっとそこから動けずに立ち止まってんだよ、って見捨てられたような気持ちになった。

 

どれだけのリスナーの黄色い声や、本当に今返す言葉として正解なのかそれはって思うような「イェイ」や 野次や 名前のコール以上に、オブチキンに置いていかれた、って感じたその瞬間が本当に一番辛かった。もうダメだ私は彼らにすら置いていかれて ついていけないんだ、って膝をついた。

彼らの音楽で、とかではなく 置いていかれた寂しさと絶望から泣いてしまった。こんなことで泣きたくなんかなかったのに。でももう本当におしまいだと思った。この場で私だけが前に進めていない、私一人だけが置いていかれてしまったんだ、って感じた。

今になると悲劇のヒロインぶってんなと思うけど、その時に感じた絶望も寂しさも諦めも虚しさも全部嘘じゃなくて切実だった。

 

 

ライブの前半から抱えてた周りとの距離だとか受け取り方の違いだとか違和感だとかそんな気持ちが「ダイヤモンド」の藤原の歌い方で決定的になって爆発して、絶望しながらその後を聴いて、やっぱり望遠で死んで、でも否応なしに引き上げられて楽しくなってしまう「新世界」で泣きながら笑って 笑いながら泣いて、ぐちゃぐちゃになりながらランプを聴いて、もうライブに来るのも向いてないのかもしれないこんなにグダグダうだうだ一人だけ拗ねて泣いて絶望して文句言って、私は結局やっぱり一人で引きこもって部屋でひとり音源を聴いて、自分に都合のいいだけの言葉を 音楽を 都合よく解釈して信じてる方がいいんだ、って思って、その方がお互いの幸せだ、って思って、今まで貰ったものも、励まされて奮い立たされた気持ちも、全部嘘じゃないけど、もう今の私はここにいない方がいいんだ、って諦めかけて。

「自分が信じれないのかい?」、昔からずっと一番信じられないのが自分自身で、それでもオブチキンのことは信じられて、だからなんとか生きてこられたのに。その軸が揺らいだらもう生きていけるわけがなくない?って自嘲した。

楽しかったのに、そんな気持ちを抱いたまま会場を後にして、でも楽しかったのも幸せだったのも本当で、マイナスなことは言いたくなくて、楽しかったことだけレポを上げて寝た。明日どんな気持ちであの場所にいればいいのかなって考えながら。

 

 

 

名古屋2日目、アリーナで、席がよくて、相互の人と同行して、楽しいはずなのに 楽しいのに 昨日のことをどこかで引きずったままの気持ちで開演を迎えた。

そしたらねえ、今ツアーの私の1pick a.k.a. ド鬱ソングこと「望遠のマーチ」で 藤原が「世の中に沢山ある音楽の中からお前らは俺たちの曲を見つけてくれた だから今度は俺たちがお前のこと見つけにきたぞ!!!!!!」みたいなことを叫んだんですよね。

その後も「その声頼りに探すから」「見つけてほしい」って続くし、「GO」終わりに「一生今日が続いてほしい」って呟くし、「生きるのは最高だ!」って叫ばされるし、「ベイビーアイラブユーだぜ」って告白させられるし、しつこいぐらい聞こえてるか確認されるし、

アンコでまさかのドアやられて、頭ついていけなかったけど、ダイヤモンドの綺麗さに泣いた私が ドアで救われた。

歌い方が変わっても、譜割りやアレンジが変わっても、置いていってるわけじゃなくて、ちゃんと手を差し伸べてくれて、待っててくれて、根本は何も変わってなくて、あぁ大丈夫だ、って 何も分からなくてもそれだけはちゃんと分かって泣いた。昨日もうダメだと思わされたのにこんなに簡単に掬い上げられてしまって 繋いだ手を離す歌なのに、それでも大丈夫だって優しさをもらってしまった。何もだめじゃなかった。オブチキンは私のこと置いてなんていってなかった。

 

ユグ期、色んな思いがありすぎて、色んな気持ちがありすぎて、一番重くてしんどくてドロドロしてて拗らせてるんだけど、あの時毎日部屋にひとり閉じこもって泣いてた私の一人が確実に救われた。

何人もいるしキリがないし一人救われても全然別の感情や記憶や思いを持った私がまだまだいるけど、でもあの時 確実にひとり暗い部屋で膝を抱えて震えてた 私の中の一人が救われた。

時間や時空や距離を飛び越えて 彼らは私を救ってくれてる、救い続けてくれてる。

それが「今」のオブチキンの音楽によってはっきりと伝わったのが 嬉しくて優しくて幸せで泣いた。

まだまだ全員は成仏しないけど、捨てて、拾って、迷って、悩んで、引き返して、もうどうにもならなくて、後悔して、また選んで、泣いて、祈って、誤って、願って、望んで、なんとか辿り着いた結果がここでよかった。今、今日にたどり着けてよかった。間違いだらけかもしれないけど、それでもここに至れてよかった。本当にそう思った。

そしてそのステージに居てくれてありがとう、増川弘明

 

 

 

もうひとりぼっちじゃなかったし、もし物理的に?ひとりぼっちだったとしても大丈夫だった。

戸惑って、迷って、拗ねて、諦めかけた迷子が、またオブチキンに救われてしまった。

 

 

手を離さないでいてくれてありがとう。

 

 

 

 

あと「ランプ」でマッチについて歌った翌日に「君が俺の松明だよ」って言うの、本当狡くてよくないと思います。

命が尽きるまで燃やし続けるよ。